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031 NORO

「駿足で魅せる野呂大樹選手」

野呂選手は小さい時からの夢であるプロ野球選手を目指し、現在は新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(以下、BC)に籍を置き、野球漬けの毎日を過ごして日々鍛錬を積んでいる。
「耳に障害のある自分がプロ野球選手になることで、障害のある人たちに勇気を与えたい」という思いを胸に白球を追い続けている。
堀越学園を卒業後、2010年度までは平成国際大学の硬式野球部に属し、50m5秒7という駿足を生かして関甲新大学野球リーグでも2季連続盗塁王に輝いている。
それに加え、ホームランも狙える堅実な打撃、駿足を生かした広い守備範囲、更に強肩も併せ持った、正に走攻守の三拍子揃った選手である。
2010年のオフにプロ野球選手を志望したものの惜しくもドラフト指名から外れた。それでもプロ野球選手の夢をあきらめず、更なる成長・進歩を目指してBCリーグ上信越地区の新潟アルビレックスBCに進んだ。
新潟アルビレックスBCでは主にセンターを守り、打撃でも1番打者として活躍し、2011年度BCリーグ上信越地区後期戦、そしてBCリーグ上信越地区の優勝にも貢献している。
静かなる闘志を秘めた、将来性が楽しみな選手である。













DAJ: 野球を始めたきっかけは何でしょうか?

野呂選手: 小さい頃、野球をやっていた父とキャッチボールをしたのが最初のきっかけ。
学校から帰ってきた後、家の近くのグランドで兄と一緒に2人で野球をして過ごしていました。
その後、小学2年の時に兄とともに地元の少年野球チームに入って本格的に野球を始めていきました。


DAJ: 2人で野球というのはキャッチボールをやっていたということ?

野呂選手: 文字通り、2人だけで野球の試合をしていました。
二人だけの特別なルールを作って守備側は当然ピッチャーだけ。打たれたらピッチャーがボールを追いかけていって、ボールを捕った時点でバッターはその塁に止まるとか、打球の強さでアウトかセーフか、どこまで塁を進めるかなどを二人で話し合って決めていました。打たれ続けているとグランドを延々と走り回っていましたね。
父が仕事から帰ってきたら父も交えて暗くなるまで一緒にやっていました。


DAJ: プロを目指し始めたのは?

野呂選手: 小さい頃から毎日テレビなどでプロ野球の試合を見ていたし、物心付いた時から自然にプロ野球選手になりたいなと思うようになっていました。

DAJ: 野球がうまくなる為にはどうすればいいですか?

野呂選手: 色々あるけど、まず努力することが一番大事だと思います。
プロフィールの好きな言葉にも書いているけど、「当たり前の事は当たり前にやる」という事も大事なことではないかな。
当たり前の事をやらないと何も始まらないし、練習は当たり前にやる、わからないことは当たり前に聞く、など最低限やるべき事は自分から進んでやる気持ちが最も重要な事だと思います。


DAJ: 今までたくさんの試合を経験されてきたと思いますが、思い入れのある試合はありますか?

野呂選手: 数多くの試合を積んできたので、すぐには思い浮かばないな~。
高校2年の秋季新人戦での早稲田実業学校との試合で、試合そのものは残念ながら負けてしまいましたが、今プロ野球で活躍されている斎藤佑樹投手から3安打を放ったことが今となっては思い出になりますね。これが今の自分の自信にも繋がっているかもしれない。

新潟アルビレックスBCでは、やはり10月2日に行われた上信越地区チャンピオンシップで、Mobage杯BCリーグプレーオフ・リーグチャンピオンシップ進出を懸けた群馬ダイヤモンドペガサスとのホーム戦です。8点リードで迎えた最終回、グランドの選手とスタンドのサポーターが一体となり地響きを感じ、鳥肌が立ったのが忘れられません。

そして最後に、今の自分の礎を築いたと言っても過言ではない、小さい頃の兄との2人試合(笑)。


DAJ: 新潟アルビレックスBCのチームメイトとのコミュニケーションはどの様にされていますか?

野呂選手: 基本的には口話でコミュニケーションを取っています。
普段の会話ではわかりやすいように口を大きくゆっくり話していただいています。
試合中も、身ぶり手ぶりやサインなどで伝えてくれるので、特に困ったことはありません。
チームミーティングなどの時は、ミーティングが終わった後に個人的に聞きに行ったりしています。
解らないままでいて周りに迷惑をかける前に、解るまで自分から聞きに行く様に心がける気持ちが大事だと思います。
幸い、橋上監督を始め、チームメイト・関係者から理解を得ているので、大いに助かっています。


DAJ: 新潟アルビレックスBCで過ごしたこの1年間はいかがでしたか?

野呂選手: 何より野球の試合・練習に集中してできる環境に囲まれているので素晴らしい1年だったと思います。
チームメイトにプロ野球を経験してきた方々がいますし、同じ目標を持った選手も多くいるので、自分にとっても参考になるし、得られる事が多かった。
ただ、今年は怪我が多く、盗塁の数が少ないというのもあって悔いが残るシーズンだったので、来年は怪我には注意すべく、積極的に塁に進む事を念頭に頑張って行きたいと思います。


DAJ: 今後の目標はありますか?

野呂選手: 自分のセールスポイントは足なので、足を生かした活躍がもっと出来るように頑張りたい。
そして、自分がプロ野球選手になることで障害者に勇気を与えていければと思っています。


DAJ: 最後に、皆さんへ伝えたいことがありましたらお願いします。

野呂選手: 聴覚障害者ということで、生活などでの不便な面は確かにあります。
でも、それを理由にして何もやらないのは自分の心が弱いことになる。
どこの誰よりも2倍3倍と、人並み以上に努力を重ねていく事が一番大事だと思っています。
「障害者だから」という言葉を使って言い訳にするのではなく、それをバネにして最後まで夢を持って追いかけていって欲しい。
皆さんも一緒に夢を追いかけて頑張って行きましょう。





































正田樹 投手
(日本ハムファイターズ・北海道日本ハムファイターズ-阪神タイガース-興農ブルズ-ボストン・レッドソックス)


高津臣吾 投手 
(ヤクルトスワローズ-シカゴ・ホワイトソックス-ニューヨーク・メッツ-東京ヤクルトスワローズ-シカゴ・カブス-ウリ・ヒーローズ-サンフランシスコ・ジャイアンツ3A-興農ブルズ)


今季限りで退任される、橋上秀樹 監督


DAJ: 橋上監督の目から見て、野呂選手はいかがでしょうか?

新潟アルビレックスBC 橋上秀樹 監督 談
「体に力とスピードがある。
ゲーム中にハンディを感じたことは無く、聴覚以外の感覚(感性)が優れ、スピードと思い切りを持った選手だと感じている。
NPBには既に聴覚障害を持った投手(現北海道日本ハムファイターズ 石井裕也投手)がいるが、野手としてはまだいないので、是非第一号を目指して欲しい。」




BCリーグ上信越地区優勝まで目前


BCリーグ上信越地区優勝!


歓喜の胴上げ




写真提供: 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(3列目右端が野呂選手)




 野呂 大樹 選手(NORO DAIKI)
・ニックネーム: ダイキ、ダイ
・生年月日: 1988・10・7
・出身地: 東京都
・身長・体重: 172cm・75kg
・足のサイズ: 27cm
・利き手・利き足: 右手・右足
・野球歴: 小2~現在(17年目)
・キャリア: 2002年 全国シニア大会 ベスト4(投手としてベストナイン選出)
       2004年 全国高等学校選手権大会 西東京大会 ベスト8
       2009年 関甲新学生リーグ戦 春秋2季連続盗塁王
       2010年 第6回関東地区大学野球選手権大会 進出
       2011年 BCリーグ上信越地区 後期優勝
       2011年 BCリーグ上信越地区 優勝
・主なポジション: センター
・聴力レベル: 両耳 感音声難聴100dB
・補聴器装着の有無・形式: 有
・補聴器のメーカー: リオネット
・野球の時の補聴器装着の有無: 有
・コミュニケーション方法: 口話、手話、筆談
・血液型: O
・最終学歴: 平成国際大学
・家族: 両親、祖父母、兄
・野球を始めたきっかけ: 野球をやっていた父とキャッチボールを一緒にやったのが最初のきっかけ
・野球以外にやってみたいこと: 球技は全般的に得意だけど、野球一筋なので今はやってみたい事は特にない
・野球をやってなかったら?: 今は全然考えられない
・愛用品スポーツメーカー: ミズノプロ、アンダーアーマー
・趣味: DVD鑑賞、寝ること
・今後の夢: プロ野球選手
・好きな言葉: 「当たり前なことは当たり前にやる」
・座右の銘: 「弱気は最大の敵」


新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ
http://www.niigata-albirex-bc.jp/

BCリーグ
http://www.bc-l.jp/




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032 KATO

「ろう学校からプロ独立リーグに挑んだ加藤選手」

加藤選手は5歳の時に父親に野球グローブを買ってもらったことがきっかけとなり、今年で26年目になる。
野球歴26年で軟式野球・準硬式野球・硬式野球の3つの球種を経験してきている。
小学5年の時に地元の少年野球チームに入部するまでは、姉とキャッチボールをしたり、竹の棒で小石を打ったりしながら野球の基礎を築いてきた。
中学、高校時代は神奈川県立平塚ろう学校の軟式野球部に入部し、捕手と投手を務め、2年連続関東ろう学校軟式野球大会の優勝に導く。
高校卒業後は平塚ろう学校専攻科に進学と同時に全日本ろう社会人軟式野球連盟神奈川支部の湘南ヤンキースに入団し、全日本ろう社会人軟式野球選手権大会では最高殊勲選手賞、最優秀投手賞を2年連続で獲得する。
平塚ろう学校専攻科を卒業までは軟式野球しか経験していなく、硬式野球にもチャレンジしてみようという意識から関東学院大学に進学し、準硬式野球部では外野手につく。神奈川七大学準硬式野球連盟春秋リーグでは、ベストナイン2回、優秀選手賞1回、首位打者賞1回などの称号を獲得し、リードオフマンとしてチームを牽引する。
大学卒業後は、創設されたばかりのプロ野球独立リーグである四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスチームに選出され、念願の硬式野球がかない、一年間捕手としてプレーする。
現在は、横浜市立ろう特別支援学校の教師を勤めており、「プロ野球を目指している子供たちの道標になれれば」と後世に夢を託している。





第36回全日本ろう社会人軟式野球選手権大会にて






DAJ: 関東学院大学で準硬式野球を始めた様ですが、どのような経緯だったのでしょうか?

加藤選手: 20歳の時に硬式野球に携わる機会があり、硬式野球を極めたくて大学進学を決めました。しかし、全日本大学野球連盟の規定で年齢制限が設けられており、専攻科に2年いたこともあって、選手として試合に出場出来るのは最初の2年間しかありませんでした。悩んだ末に年齢制限がない準硬式野球を選択しました。

DAJ: 関東学院大学でも、捕手としてプレーしていたのでしょうか?

加藤選手: 入部セレクションの際は捕手として受けましたが、チームの方針もあって打者として専念するため、外野を守っていました。軟式野球と準硬式野球ではボールの軌道が違うので、頭の切り替えなどに苦労していました。

DAJ: コミュニケーションも苦労したと思いますが、どのような方法でやり取りをしていたのでしょうか?

加藤選手: 手話や指文字を覚えてくれたチームメイトもいましたが、プレー中は当然の事ながら余裕が無く、口話&読話中心にコミュニケーションをとっていました。時にはお互いに誤解が生じたり、なかなか自分の思いを伝えられないことがあったりと、非常に苦労しました。

DAJ: 四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスに選出されたときの感想を聞かせてください。

加藤選手: 自分の夢に近づける唯一のチャンスをいただけた事に感謝しました。そして、ろう者でも野球ができることを一人でも多くの人にプレーで伝えたいと思い、サインに書く際、名前と一緒に「Deaf」と書いていました。

DAJ: 四国アイランドリーグで経験してきたこと、印象深かったことはありますか?

加藤選手: 自分では一生懸命プレーしているつもりでしたが、観客席からヤジが飛ぶこともあり、プロの世界の厳しさと自分の努力不足を痛感しました。辛い思いもしましたが、逆に頑張る糧となりました。また、プロを経験されてきた方からのコーチを受け、これまでに経験した事のない、精度の高い練習などを教わった事に衝撃を受けました。

DAJ: 今まで一番嬉しかった試合を挙げるとしたら(思い出のある試合)どれでしょうか?

加藤選手: 大学3年の時、大きな怪我(右肘の靱帯損傷)をし、再建手術を受けました。医師からはリハビリをしても完治する保証は無いと言われていましたが、諦めずに一年間リハビリに励みました。一時はリハビリをあきらめかけた事もあったのですが、母校の平塚ろう学校、関東学院大学や湘南ヤンキースのチームメイトからの期待や励ましもあり、踏み止まって最後までリハビリを続けることが出来ました。その甲斐もあって大学4年の時に復帰することができて、1年ぶりに試合に出られた事が一番嬉しかったです。

DAJ: 色んな経験や苦悩をされてきたのですね。最後に、野球してるろうの子供たちにアドバイスをお願いします。

加藤選手: スポーツは「基本の練習の積み重ね」、「工夫を重ねた練習」を繰り返すことが上達の近道だと思います。例えば、野球の素振りであれば、ただバットを振るだけでなく、しっかりとボールを打ち返すためにはどうすればいいのか、ということを考えながら振ることが大切です。回数よりも少しの工夫を毎日積み重ねることが重要だと思います。
野球やスポーツに限らず、子どもたちには夢を持って欲しいと思います。夢に向かって努力することで視野が広がり、将来役に立つことがたくさんあるはずです。そして、周りで支えてくれる方たちへの感謝の気持ちを忘れないでほしいと思います。




















画像提供: KATO
四国アイランドリーグ公式戦にて


画像提供: KATO


画像提供: KATO


画像提供: KATO


画像提供: KATO


画像提供: KATO


画像提供: KATO
徳島インディゴソックス 後列左から2人目が加藤選手




 加藤 康志選手(KATO YASUSHI)
・ニックネーム: ヤスシ
・生年月日: 1980・11・4
・出身地: 神奈川県
・身長・体重: 180cm・75kg
・足のサイズ: 28cm
・利き手・利き足: 右・右
・野球歴: 小5~現在(26年目)

・キャリア: 1993年~1998年 平塚ろう学校野球部(軟式)
       1999年~2000年 湘南ヤンキース(軟式)
       2001年~2004年 関東学院大学準硬式野球部(準硬式)
       2005年 四国アイランドリーグ 徳島インディゴソックス(硬式)
       2006年~現在 湘南ヤンキース(軟式)

       全日本ろう社会人軟式全国大会 優勝3回(最優秀投手賞1回)
       全日本ろう社会人軟式野球選手権大会 優勝6回、準優勝1回(MVP4回、最優秀投手賞3回、敢闘賞1回)
       全国ろうあ者体育大会野球競技 優勝5回(MVP1回、最優秀投手賞2回)
       神奈川七大学準硬式野春秋リーグ 優勝6回(ベストナイン2回、優秀選手賞1回、首位打者賞1回)
       全日本大学準硬式野球選手権大会 出場3回

・主なポジション: 捕手、外野
・野球の特技: 捕手でのキャッチング、打者との心理戦、ストライクゾーンの見極め
・聴力レベル: 右110dB・左111dB
・補聴器装着の有無・形式: 有
・補聴器のメーカー: リオネット
・コミュニケーション方法: 手話
・血液型: O型
・最終学歴: 関東学院大学
・職業: 教員
・家族: 両親、姉二人、祖父
・野球をやって聴力影響はありますか:
捕手を務めているので、審判員の判定を聞き取るため常に補聴器装用。言葉の聞き取りは十分ではないが、声の大きさなどから想像して判断している。
・野球の醍醐味: 捕手をしているとき、上手くバッターの裏を読むことができたとき
・野球以外にやってみたいこと: エベレスト登山
・ラッキーアイテム: リストバンド
・愛用品スポーツメーカー: MIZUNO OAKLEY GREGORY
・趣味: 旅行
・今後の夢: 指導者になって子どもたちに野球の楽しさを伝えること
・好きな言葉: 「上達に限界なし」
・今後の抱負: 定年まで野球に関わりたい
・後世に伝えたいこと(皆さんへのメッセージ):
ろう者の中には、夢を簡単に断念する人が多くいると感じています。
ろうの子どもたちには自信を持って夢を実現できるようになって欲しいと思います。
そのために、ろう学校などで自分が経験したことを伝えていきたいと思っています。

湘南ヤンキース http://www.s-yankees.org/

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030 TSUJI

辻選手は現在、三重県の強豪クラブチーム『055(オーファイブツー)』の一軍でプレイしている。

辻選手は長身を生かし、インサイドもアウトサイドもこなせるプレイヤー。

2008年にデフバスケットボールプレイヤーとして初めて、『天皇杯』(通称:オールジャパン)に出場した経歴を持つ。
また、デフリンピック(2005年 メルボルン、2009年 台北)、デフバスケットボール世界選手権大会(2007年 中国・杭州)にも出場した。

現在、055チームの活動を中心としているが今後の成長に期待したい。


055(オーファイブツー)公式サイト
http://www.team055.com/

日本デフバスケットボール協会公式サイト
http://jdba.sakura.ne.jp/











DAJ: バスケットボールを始めたきっかけを聞かせてください

辻選手: 中学校に入ったときに友人に誘われて始めました。
最初は興味程度だったのがシュートが入る瞬間が楽しくてあっと言う間に夢中になり、日が暮れるまでシュートを打ち続けていたこともありました。
練習は厳しかったけれど、狭いコートを縦横無尽に走り回ることも気持ちがよくて、段々バスケットが 好きになりました。


DAJ: 貴方にとってこのスポーツの魅力を教えてください。

辻選手: コートが狭い分、他のどのスポーツよりもスピーディーで攻守の展開が早いことです。
また、ゴール下は格闘技ともいわれるぐらい、ポジション取りやリバウンド争いなど身体と身体のぶつけ合いが激しいところも魅力の1つだと思います。
シュートだけでなく、ドリブル・アシスト・ディフェンスなど見どころがたくさんあり、NBAなどでは力強いダンクもあるので、観る人をさらに楽しませてくれます。


DAJ: バスケットボールをやっている上で聴力のハンディはありますか?

辻選手: 健常者の場合、試合中はスクリーンやヘルプ、スイッチなどのかけ声がよく飛び交うのですが、自分の場合はそのキャッチボイスができず、健常者に比べて反応が遅れたり、気が付かなかったりすることがあります。
バスケットは瞬時の駆け引きが多く、わずかな遅れが失点やミスにつながることがあるので、できる限り目や首をフル稼働させて全体を見るようにしていますが、それでも見えない所や気付かない場合は味方にフォローして貰っています。

自分がチームに加入してからは手でサインを決めて、自分が試合に出ている時は手のサインも交えてコールしてもらっています。
バスケットはやはりチームワークが大切なので、お互い助け合っていく気持ちがないとチームとして成り立たないと改めて思いました。
プレー自体は聴力の影響はあまり感じていません。


DAJ: 国内のデフバスケットボール選手として初めて天皇杯に出場した経験があるそうですが 、いかがでしたか?

辻選手: 天皇杯は国内最高峰の大会ということもあり、今まで観る側だったのが自分が実際に出場することは夢にも思っていませんでした。

地元の健常者チームの055(オーファイブツー)に加入した時はJBL(日本バスケットボー ルリーグ)や国体に出場したりするなど名の知れた選手(中には205cmの選手も!)が揃っていて、チームとしても非常に勢いに乗っていたときでした。
そんな中で、加入してわずか5ヶ月での天皇杯出場はとてもラッキーだったと思います。

実際に東京体育館のコートに立った時、客席を見上げると正月にも関わらず、観客席がたくさんのお客さんで埋まっていて、いつもと違った感覚ですごく足が震えていたのを覚えています。
相手はインカレにも出ている早稲田大学で、ユニフォームがエンジ色の生地に大きく「W」がプリント されていて、伝統を感じさせました。

試合は1分40秒と短い時間での出場でしたが、ただ無我夢中でプレーするのが精一杯で、その時の内容はあまり覚えていません。
正月にバスケットの試合をするのも初めてで新鮮だったし、貴重な経験をさせていただいた監督やチームメイトのみんなにはとても感謝しています。
あの感覚は今でも忘れられません。

DAJ: 今までの競技人生で忘れられない思い出は?

辻選手: 天皇杯もそうですが、他にもデフバスケットの日本代表活動で、JBLの松下電器(現パナソニック)とゲームをさせていただいたことです。
日本代表でもある青野選手やJBL得点ランキング一位のブース選手とマッチアップして、国内トップレベルのプレーを肌で感じたのがとても良い経験になったと思います。
特に青野選手は身長が210cmあって、ジャンプボールで対峙した時は向こうのリングが見えなくなるぐらいで、まるで山のようでした。
あの経験があったからこそ、高さに対抗するためにフックシュートや合わせのプレイも身に付けて、世界の高さにも怯まずに攻められるようになったと思います。


DAJ: バスケットボールを始めるにあたってご両親や友人はどんな反応がありましたか?

辻選手: 小学校時代はサッカーをしていたので、急にバスケットを始めるということに周囲はびっくりしていましたが、両親からは「やるからには一生懸命やって欲しい」と言われました。
その言葉どおり、頑張って続けてきたからこそ、現在の自分がいるのだと思います。


DAJ: 練習や試合の時はどのようにコミュニケーションをとっているのでしょうか?

辻選手: 健常者とは基本的には口を大きく開けてゆっくり話してもらうようにしていますが、ミーティング時などは隣の人にメモパッドやホワイトボードで書いてもらっています。
話していることが分からない時は自分から聞くように心がけていますが、特にタイムアウトやプレーの合間など時間が限られている中ではどうしても早口になってしまったり、通訳してもらう余裕もなくて、瞬時に100%理解できているわけではないのでそこの部分が難しいです。
チームメイトとはジェスチャーも交えて、普段からもっとコミュニケーションを図っていくことが大事だと思います。
これは健常に限らず、デフバスケも同じことがいえると思います。


DAJ: 最後にこれから自分と同じスポーツをやろうとしている人や子供たちに伝えたいことは?

辻選手: バスケットに限らず、何か1つでも夢中になれるものを見つけて、一生懸命に取り組んでください。
それが競技であれば、勝つことももちろん大切ですが、目標に向かって努力することや周りの人たちと協力し合うことも大切だと思います。
その経験が自分を成長させ、いつか自分の大きな財産となって、将来に活きてくると思います。最後に、楽しむ心と感謝の気持ちをいつまでも持っていて下さい。



























画像提供:JDBA
2008年オールジャパン大会(天皇杯)にて


画像提供:JDBA
2008年オールジャパン大会(天皇杯)にて





 辻 朋大選手(TSUJI TOMOHIRO)
・ニックネーム: ツッチー
・生年月日: 1983年9月1日
・血液型: A型
・趣味: 温泉、スポーツ観戦、通販
・出身地: 三重県四日市市
・最終学歴: 日本福祉大学
・職業: 会社員
・身長: 191cm
・足のサイズ: 30cm
・スポーツ歴: 中学校~現在 バスケット歴16年目
・キャリア: 
   《デフ》
   2005年 メルボルンデフリンピック日本代表
   2007年 広州世界選手権日本代表
   2009年 台北デフリンピック日本代表
 
   《健常》
   2008年 天皇杯出場
   2008年 全日本クラブバスケットボール選手権 準優勝

   《現在のチーム》
   O55(オーファイブツー)三重県鈴鹿市を活動拠点とした健常のクラブチーム 
   ※2011年度より復帰

・スポーツの特技: インサイドプレー、ランニングプレー
・聴力レベル: 左右 100dB
・補聴器装着の有無・形式: 無
・スポーツの時の補聴器装着の有無: 無
・コミュニケーション方法: 手話、口話、筆談
・スポーツ以外にやってみたい事: サッカー、マラソン(いつかはホノルルマラソンに挑戦したいです)
・ラッキーアイテム: キャラクター入りタオル
・愛用品スポーツメーカー: NIKE
・好きな言葉: やればできる、いつものように、素直
・今後の夢: 幸せな家庭を築くこと、バスケットの指導に携わること




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029 TAKASUGI 

「浪速」女性レーサーの高杉奈緒子ライダー

「オートバイに乗っている女性は男勝り」と考えが浸透している中、サーキットで非凡な才能を見せて活躍している女性レーサーがいる。
単に「オートバイに乗りたい!」という気持ちから数少ない女性バイクレーサーとしてMFJ公認全日本ロードレースへフル参戦しているのが高杉奈緒子というライダー。
高杉ライダーは現在、「モトバム&ヒポポタマス」チーム一員としてJ-GP3クラスにエントリーしており、2011年度エントリーリストでは唯一の女性ライダーである。
2歳の時に高熱で両耳の聴力を失い、聞こえないというジレンマから16歳で「単車」に出会い、「夢」を追いかけ始める。
2000年にミニバイクでローカルレースに参戦したのが始まりで、2004年に本格的に念願の最高峰のMFJ公認レースへステップアップしレース人生12年目になる。
レース中の後方マシン音や、マシンのエンジン音など、レースに関する音を聞き分けるなど、必須とされる聴力にハンディがあるとバイクレーサーにとっては致命的である。
そんなハンディを押しのけながら、男性ライダーと変わりないアグレッシブな抜群のライディングスタイルでガッツある攻めでダイナミックなレースへと展開していっている。
西日本選手権ST600クラスでチャンピオンタイトルを獲得し、鈴鹿4時間耐久レース5位入賞、J-GP3クラス入賞へと実力派ライダーとしてキャリアを積み重ねている。
男性ライダーにも劣らない走りだ。今年の夏のオートバイ祭典の鈴鹿8時間耐久ロードレースでも念願の完走を果たしている。
高杉奈緒子の走りが観客らをはじめ他チームまでに盛り上げに貢献し、「高杉奈緒子サポートクラブ」まで結成され、たくさんのファンらを魅了させている。
ヘルメットを脱ぐと一見ごく普通の女性であり、「高杉ライダー」ではなく「高杉奈緒子」の絶えない笑顔がファンらを釘付けて離さない。
チーム「モトバム&ヒポポタマス」の大野剛史監督は「誰でも努力をすれば必ず夢をかなえることができる。頑張って皆に夢を与えられる人になってほしい」と見守っている。
高杉ライダーの夢は「海外舞台」。高杉ライダーのシンボルマークは夢に向かって羽ばたくようにと作られたものだ。海外進出に向けてレース挑戦はまだまだ限りなく続く。


全日本ロードレース公式サイト http://www.superbike.jp/
 










DAJ: 初めてオートバイに触れたきっかけは何ですか?また初めて乗ったオートバイはどのようなものだったのでしょうか?

高杉ライダー: 元々テレビでオートバイレースを見てバイクに憧れていました。耳が聞こえないということで何か夢中になれるものがほしいと考えていたのも相まって乗ってみたのがオートバイに乗るようになったきっかけです。初めて乗った単車はレーサーレプリカモデルのNSR-250R-SPですね。

DAJ: オートバイレースに参加したきっかけは何だったのでしょうか?

高杉ライダー: 実は18歳の時にバイク事故にあい、左手首複雑骨折、両足骨折し、3カ月入院の大けがをしたんです。その時に親と兄にオートバイに乗ることを猛反対されました。「オートバイにのることは許さない、乗るなら家を出ていけ」と言われました。私はどうしてもオートバイに乗りたかったので、家を出てサーキットで走ることを選びました。
無一文で家を出たので、生活は大変でしたけ れど…。(笑)


DAJ: オートバイのために家を出るなんて、それほど熱い気持ちがあったのですね。オートバイレースに出て、転倒事故やスピードに対する恐怖心などはないのでしょうか?

高杉ライダー: ないですね。むしろもっと速く走りたいと思いながら乗っているので。転倒事故についても、転倒した原因がありますしその転倒した原因を考えて反省し次のレースでは同じことを繰り返さないことです。
自分に強くならないとという気持ちがあるので怖くはないです。オートバイレースが大好きで楽しんでいます。


DAJ: 今までのオートバイレース人生の中で忘れられない想い出は何でしょうか?

高杉ライダー: たくさんありすぎて選べないですね。ただ、一番好きなサーキットは鈴鹿です。元々鈴鹿で走ることが私の憧れで、初めてオートバイロードレースに参加したのも鈴鹿だったんです。
鈴鹿が私のバイクレース人生の原点になっていますね。


DAJ: 聞こえないことでマシンに乗ることに影響はないでしょうか?

高杉ライダー: 特にないですね。エンジンのアイドリング回転のタイミングはランプ表示で見分けできるようにチューニングしました。
ブレーキを踏んだ時などフロントサスペンションの硬さの感覚によってアクションを変えたり体で感じて判断している事が多いので。体感で判断してメカニックの川原さんにセッティングしてもらっています。メカニックの川原さんはとても心強い存在です。ただ、マシンによっては音を聞かないと操作がしにくいところもあるので不便な部分もありますが、このSUGOサーキットで体感判断しやすい4ストマシンにチェンジしたので聴力による影響は随分なくなりましたね。


*SUGO大会でHONDA RS125Rマシン(2スト)から新モデルのHONDA NSF250R(4スト)にチェンジ


DAJ: 今回のSUGOサーキットで2ストマシンから4ストマシンにチェンジされたということですが、それはなぜですか?また乗った感じはどう違いますか?

高杉ライダー: 2ストマシンはエンジンブレーキが利き難く、体感で感じづらいので4ストマシンのほうが乗りやすいです。来年には環境対策として2ストマシン撤退になります。今のうちに早く新モデルの4ストマシンに馴らしておいて早く来年に繋げていきたいです。また、海外で活躍するのが今の夢でもあるので、4ストがメインになっている海外でも適応できるようにと思ったのも一つの理由ですね。

DAJ: オフシーズンは何をされていますか?

高杉ライダー: 年間半分は全国各地を転戦しているのでオフになったら世話になった方とかスポンサードしてくれた方へレース報告等の挨拶に廻っています。そして翌年へ向けてのスポンサー活動などをしています。ほとんどバイクレースの準備です。

DAJ: 高杉ライダーにとって、オートバイとは何ですか?

高杉ライダー: 自分が夢中になれるものと思っています。自分を自分らしく表現することができるもの、それがオートバイだと思っています。オートバイレースに出ることでチームスタッフのみなさんをはじめいろんな方から協力してくれたり、応援してくださってるのでそれに応えられるように、しっかりと走りたいと思います。

DAJ: 最後に、耳にハンディのある子どもたちに伝えたいことは何ですか?

高杉ライダー: とにかく自分の好きなことをやってほしいと思います。聞こえないことを気にしないで、自分がひたすら夢中になれるものを見つけてほしいです。
ハンディを楽しめるように強くなって欲しいと思います。



フォーカスロケーションはR5(第5戦)仙台のSUGOサーキットにて


タイヤを暖めたりマシンのチェック等のウォーミックアップラン前のピットイン。


モトバム&ヒポポタマスチームの川原英実メカニック
川原メカニックはライダー経験者であるので高杉ライダーの耳代わりとなってマシンのセッティングしている。高杉ライダーにとって不可欠必要な存在となって誰よりも信頼を寄せている川原メカニック。


ヘルメットは「アライ」メーカー、ツナギは「RSタイチ」メーカー。


ドライコンディションに合わせて仕上がったマシンをチェックする高杉ライダー。


刻一刻と緊張感が高まるなか、サイティングラップへ向かう高杉ライダー。




R5(第5戦SUGO大会)では予選13番手スターティンググリッドに。














国内レースではすっかりお馴染みの「ピットウォーク」。レース前に一般観客もピットロードを「歩く」というイベント。ライダーを間近で見たり、各チームの配布するグッズを手に入れたり、クイーンの美貌にため息をついたりと。


高杉ライダーには数名のファンらがサイン、スナップ写真へと詰め寄る。


チーム「モトバム&ヒポポタマス」の大野剛史監督


笑顔でファンに応える高杉ライダー


「皆さん高杉奈緒子ライダーのサポーターになりませんか!?」

高杉ライダーはオートバイレースだけではなく社員として勤めながら週末はレースというライフスタイル。
給料のほとんどをレースにつぎ込む生活が続いている上、資金面など苦労は絶えないが、高杉ライダーはオートバイのレースに出ることで自分を変えることが出来たという高杉奈緒子ライダーをサポートしてみませんか。
高杉奈緒子サポートクラブ
企業スポンサー募集について


ホンダモトバムサイトhttp://www.motobum.co.jp/shopinfo/shopinfo.cgi
株式会社ヒポポタマスサイトhttp://www.hippopotamus.jp/




 高杉 奈緒子ライダー (TAKASUGI NAOKO)
・出身地: 大阪
・身長: 157cm
・足のサイズ: 24cm
・利き手・利き足:右

・バイクレース歴:
2000年 ミニバイク 初レース
2002年 モトチャンプ杯全国大会2位
2003年 モトチャンプ杯関西シリーズランキング3位
2004年 全日本ロードレース選手権 参戦開始(ST600クラス)
2005年 鈴鹿4時間耐久レース5位
      西日本選手権 ST600クラス年間チャンピオン
2006年 全日本ロードレース選手権 ST600クラススポット参戦
2007年 全日本ロードレース選手権 ST600クラスフル参戦
2008年 全日本ロードレース選手権 GP250クラスフル参戦
      鈴鹿8時間耐久ロードレース 石垣島マグロレーシングより参戦
2009年 全日本ロードレース選手権 GP250クラスフル参戦 年間ランキング11位
2010年 全日本ロードレース選手権 J-GP3クラスフル参戦 年間ランキング25位
      鈴鹿8時間耐久ロードレース チームラ・ベレッツアスピードより参戦
2011年 鈴鹿サンデーロードレース第1戦 3位      
      鈴鹿サンデーロードレース第2戦 3位      
      OKAYAMAロードレースシリーズ第2戦 優勝      
      鈴鹿サンデーロードレース第3戦 10位      
      全日本ロードレース選手権 J-GP3クラスフル参戦      
      鈴鹿8時間耐久ロードレース チームラ・ベレッツアスピードより参戦 42位入賞  

・聴力レベル: 左右 100dB
・補聴器装着の有・形式: 有(メーカーは不明)
・バイクレース時の補聴器装着の有無: 無
・コミュニケーヨン方法: 読話
・血液型: A


高杉奈緒子オフィシャルサイト http://www.hippopotamus.jp/takasugi/index.htm
高杉奈緒子のブログ http://naorog.cocolog-nifty.com/ 




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004 SAKATA

坂田選手は東京都女子フットサルリーグ一部のデルソーレ中野レディース選手として活躍している。
また今年の11月に開催される第3回世界ろう者フットサル選手権の選手でもある。
平成23年8月21日、府中総合体育館で坂田選手と同じように健常チームのなかで活躍する首藤選手が所属しているう~魚チームとの試合が行われた。坂田選手と首藤選手がボールを競り合い、白熱の対決シーンがいくつかみられた。
結果6-1でう~魚チームが勝利した。両選手の更なる成長を期待する。







DAJ: 今日のフットサルゲームはいかがでしたか?特に首藤選手のチーム「う~魚」と対決して何か感じたことはありましたか?

坂田選手: 結果は惨敗ですが、個人としては少しでもチームのために良いプレーができたと思います。

DAJ: 坂田選手はデフフットサルでも活躍されていますが何故健常チームでもプレイしようとしたのでしょうか。
また、どのようなきっかけがあり「デルソーレ中野レディース」に入ることにしたのでしょうか?

坂田選手: デフ日本代表に恥じないプレーをするため、健常者のチームに入り自分を鍛えたいと思ったからです。
デルソーレ中野に入ったきっかけとしては、以前にデルソーレ中野レディースクリニックと称したフットサルイベントに参加し、チームメンバーの雰囲気がいいなと思っていました。その後そのチームがセレクションを開催するとHPで知り、申込んでチームの一員として認めてもらいました。


DAJ: なるほど。特に健常チームの「デルソーレ中野レディース」で学んだことを具体的に教えてください。

坂田選手: 一番大きいのはコミュニケーション面です。
私はチームの中では、コミュニケーションの一つとして声を出すよう求められています。
デフフットサルでは、声を出すことを必要としていないので、これについては色々と考えさせられました。
私が声を出してチームに貢献するかわりに、チームのメンバーからは身振りや足踏みをしてもらい、お互いのコミュニケーションを成り立てています。チームがプレーしやすいように自分も工夫をし、自分が動きやすいようにチームに要望を伝えていく…そういったチームの中での自分のあり方を学びましたね。


DAJ: もうすぐ世界デフフットサル大会ですね。今のデフ女子日本代表チームの体制はいかがでしょうか。

坂田選手: 一年を通してさまざまな準備をしてきましたが、まだまだ時間が足りないです。ちょうど今は監督の考えるチームとしてのコンセプトを、全員が理解し始めたばかりの状況だと思います。監督のコンセプトに残り2ヶ月で、どれだけ完成に近づくかは個々の意識次第だと思います。

DAJ: 坂田選手にとってフットサルは何でしょうか。

坂田選手: 生きがいですね。体力が続く限り、続けていくつもりでいます。

DAJ: 後世に伝えたいことあれば教えていただけませんか。

坂田選手: 健常者チームの中でうまくやっていくためには、まず自分がチームの方針や要望を聞いて理解して変わっていくとともに、自分の要望をチームに伝えて理解してもらえるような環境を作るのが大事だと思います。あとはフットサルを純粋に楽しむことですね。











デルソーレ中野レディースの藤井キャプテン


所属フットサルチーム「デルソーレ中野レディース」キャプテン藤井選手からみた坂田選手と、坂田選手へのコメント

坂田選手は聴力のハンデを感じさせないくらいがんばり屋さんです。
坂田選手はおしゃべりもするし明るいし、ろうであるからというような特別なことはありません。
戦略等コミュニケーションの取り方については、坂田選手がいるパターンとそうでないパターンを作ってます。
試合中、必要なときは強く足踏みして震動で気づかせる等工夫もしています。
コミュニケーションのとりかたについては坂田選手から学ぶところが多く、メンバーも勉強させてもらっています。
他の選手と区別をつけたくないので、特別扱いせずにキャプテンとしてはきびしく指導をしています。
これからもメンバー皆で坂田選手のサポートを続けていきます。















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028 OGASAWARA

「精悍なる女子ボクサーの小笠原選手」
 
個性的なヘアスタイルに強烈パンチ炸裂が持ち味でニューフェイスとして沸かせたバンタム級女子プロボクサーの小笠原選手。
ボクシング歴は11年目となるのだがプロになってからは1年になる。
プロになってからの対戦成績は3戦2勝1敗(1KO)。
小笠原選手は小さい時から先天性聴覚障害でありながらほとんど健常者と普通の学校へ通っていて、学生時代から格闘技スポーツ好きのごく普通の少女であった。
最初のボクシングは健康推進として、始めたもの、空手とキックボクシングもチャレンジした経歴がある。
特にキックボクシングでは全国アマチュア大会で優勝というキャリアがあり、そして「プロになりたい」という心変わりの一途な想いから人生が大きく変わったという小笠原選手。
「耳が聞こえない」という理由で「プロ」という壁と何度もぶつかりながらあちらこちらへとジムへ当たってきた。
そんな小笠原選手を受け入れてくれたのがトクホン真闘ジムの佐々木孝雄会長だった。
佐々木会長は何故、小笠原選手を受け入れたのかというと佐々木会長はちょっと目が見えないという障害を持っていて、共感を感じ取っていた。
トクホン真闘ジム練習生としてボクシングを本格的にはじめて去年に念願のプロテストに合格し、プロデビュー戦でも初白星を挙げた。
初勝利を挙げた時は「勝ったことよりプロというリングに立てたことが1番うれしい」と佐々木会長の出会いに感謝している。
そして今年2月の後楽園ホールで2人の世界チャンピオンの小関桃選手と富樫直美選手とエキジビションマッチでもいいスパー展開していた。
佐々木会長は「チャンピオンになれる素質を持っている」と期待を寄せている。
小笠原選手の世界タイトルマッチ実現も夢ではない日が来ると。











DAJ: ボクシングを始めたきっかけは何でしょうか。

小笠原選手: なんとなくかな。笑 3才の時に父のボクシンググローブを触ったことが始まりかな・・・。
ボクシングだけではなくキックボクシングもしていました。そのボクシングをはじめたきっかけは自分を変えたいと思ったからです。
そして護身術として身につけたいという思いからです。


DAJ: なぜキックボクシングからボクシングに転向しましたか?

小笠原選手: 当時は女子にもキックボクシングのプロはありましたがコミッションに認定されていなかったのです。
ボクシングのほうが女子も男子と同様コミッションに認定され、ライセンスが発行されるようになったのが2008年だったからです。


DAJ: なるほどね。「プロ」ボクシングを意識したのはいつごろでしょうか。
 
小笠原選手: ボクシングを始めた頃はアマチュアやエクサイズ的なジムで練習してきました。
そしてボクシングマガジンという専門雑誌を読み始めていく度につれてライセンス取得したくなりました。
それは8年目だったと思う。当時は女子のプロボクサーの練習できるジムも少なく「プロ」としてやってくれそうなジム探しに苦労しました。
ボクシングマガジン雑誌でジムの情報を探して見つけたのがトクホン真闘ジムだった。
そしてトクホン真闘ジムの佐々木会長の出会いで「プロ」になれる!?と意識し始めました。
最初は難しいと言われていたが、練習、スパーをやっているたびに会長が考え方を変えてくれて、ジムのトレーナーの方からプロにならないか、と声をかけてくれたのです。


DAJ: プロになって回りの反応とかライフスタイルとか変化はありましたか?

小笠原選手: いいえ、あんまり変わらないです。
でもエクサイズ感覚でやってきたボクシングとプロとしてのボクシングは練習量が半端じゃないです。
仕事もしていますので毎日ほとんど仕事が終わったらボクシングジムへ通い続けています。
毎日ロードワークも欠かさずやっています。
食事、栄養バランスも気に配るようになりました。
それにボクシングやる前までは何事にチャレンジしても長くは続かなかったので。笑


DAJ: プロになっても仕事しているのですね。どんな仕事されていますか?

小笠原選手: 女子プロは男子と違って未だは発展途上だと思うし、安定した仕事もあった方がボクシングも続けられるので。
歯科技工の技術を勉強していたので今は歯科技工士として働いています。


DAJ: ボクシング試合でよく起こる事故の「パンチドランカー」とかの不安はあるのでしょうか?

小笠原選手: パンチドランカーでもうリングに上がれないボクサーはたくさんいますね。 もちろん、不安はあります。
でもちゃんと基本練習、練習を積み重ねてながら前向きにいかないと何もはじまらないからです。
女性だとボクシング試合後の腫上がった顔もつらいですよ・・・。笑


DAJ: この間(7月)の試合でプロになって初めて敗を喫しましたがあの当時の心境はいかがでしたでしょうか。

小笠原選手: あれね。痛い負けでしたよ。 顔も精神的にもひどいダメージ受けました。笑
実をいうと対戦相手と体重制限のこともあって計量検査日前日まで2キロも落とさないといけない状況だったのです。でないと減点たくさんとられると試合不利になるから、練習どころか必死の減量ワークばっかりだったのでコンディジョンもよくなかった。
特に試合前の日は何も口に入れず、アイスシャーベットを朝、昼、夜に一口のみでした。
でも本当にいい経験させてもらったので次回戦も勝ちに行きたいです。


DAJ: 後世に伝えたいことありますのでしょうか。

小笠原選手: 耳の聞こえない男子もプロという道にチャレンジして欲しいです。
いつかは出てくると思っていますし、ボクシングに限らず、いろんなスポーツでも目標を持って頑張ってください。
 
























トクホン真闘ジムの佐々木孝雄会長と




 小笠原 恵子選手(KEIKO OGASAWARA) 
・生年月日: 1979・9・16
・出身地: 埼玉県
・身長: 152cm
・足のサイズ: 24.5cm
・利き手・利き足: 右
・ボクシング歴: 11年
・キャリア  アマチュアボクシング時代 3戦3勝(1KO)
       新空手3戦3勝
       アマチュアキックボクシング3戦3勝(1KO)
       J-NETWORKキックボクシング全国大会 優勝
       プロボクシング3戦2勝1敗(1KO)
・ボクシングの特技: 右フック
・聴力レベル: 左右 100dB
・補聴器装着の有無・形式: 有(右のみ)
・補聴器のメーカー: WIDEX
・ボクシングの時の補聴器装着の有無: 無
・コミュニケーヨン方法: 手話、筆談
・血液型: A
・最終学歴: 筑波大学附属聾学校歯科技工科
・職業: 歯科技工士
・家族: 父母
・ボクシングを始めたきっかけ: 何となく
・ボクシングを始めたことで変わったことは?: 体全体太くなった。
・ボクシングをやって聴力影響は?: 試合中セコンドの声が分からないのが不便。
・ボクシングの醍醐味は?: 勝ったあとの食事がうまい
・ボクシング以外にやってみたいこと: テコンドー、柔道、合気道、シュートボクシング、etc・・
・ボクシングをやってなかったら?: プロキックボクサー
・ラッキーアイテム: 黄色のタオル(何故か試合の時持っていると勝っていた)
・愛用品スポーツメーカー: ナイキ、アディダス、チャンピオンなど何でもイイ。
・趣味: 食べること
・宝物: やっと手に入れたプロボクシングのライセンス
・今後の夢: 考え中
・好きな言葉: 挑戦
・座右の銘: 継続は力なり
・今後の抱負: 怪我をしないこと
・後世に伝えたいこと: 好きなことを楽しくやっていこう♪
 
トクホン真闘ボクシングジム http://www.sinto-gym.jp/index.html




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026 SHUTOH

首藤選手は東京都女子フットサルリーグ1部のう~魚選手として活躍している。

高校まで岩手育ちだった彼女は、学校の生徒が少なかったこともありバドミントンと陸上を掛け持ちでプレーしてきたが、 進学を機に上京し、女子デフフットサルへ転向する。
フットサルを始めてからデフリンピックの存在を知り、サッカーも掛け持ちを始めた。
そして2009年夏に台北で開催された夏季デフリンピックでは、女子サッカー日本代表にも選ばれている。
ろう者女子サッカー日本代表チームの姿を追うドキュメンタリー作映画「アイコンタクト」では彼女の出演が印象的だ。

実際にはサッカーよりフットサル歴の方が7年と長い首藤選手は、今年秋にスウェーデンで開催されるデフフットサル世界大会女子日本代表を目指している。
首藤選手は「代表選手になるからにはフットサル選手としてのフィジカルやスキルを上げ、世界大会に臨みたい!」という強い意志のもと、去年より健常者チームの一員として本格的にフットサルを始めた。

首藤選手はパワフルなプレイヤーではないものの、2011年6月に行われた都リーグでもアラ選手がボールを持った際に近くの選手を経由せずに一発でサイドまでボールを飛ばすというピッチワイド的なプレーを発揮。

凛とした表情が魅力的な彼女だが、『自分としてはテクニック面、メンタル面含めフットサラーとしては未だ未熟だ。学ぶべきことがたくさんあるので今の「う~魚」チームを大切にしていき、一緒に成長していきたい』という謙虚な姿勢と時折見せる恥ずかしがり屋という意外な一面も持ち合わせており親しみやすい選手でもある。フットサルに情熱をかける首藤選手の今後の活躍に大いに期待したい。

※ アラ:(フットサル用語)中盤のフィールドプレーヤーで、サッカーで言うところのMFのこと。









DAJ:フットサルをはじめたきっかけは何でしょうか?

首藤選手:小学生の時にJリーグが開幕されてサッカーが好きになり、サッカーをやりたいと思っていたのですが、学校の部活はバドミントンと陸上しかなかったんです。社会人になってからサッカーをやりたいと思い、チームを探していたところを、フットサルをやってる友人に誘われてやってみたら楽しくて始めたのがきっかけです。

DAJ:最初はデフフットサルチームに加入していたのですか?

首藤選手:はい。最初はデフフットサルの女子チームに入っていたのですが、2011年11月の世界選手権に向けてスキルを上げるため、デフフットサルチームを辞めて健聴者のフットサルチーム「う~魚」に入りました。
健常者フットサルチームの中でろうである私がどれだけ通用できるか試してみたい、と思ったのも一つの理由ですね。
デフ世界大会でプレイ出来るかどうかはわかりませんが、今の「う~魚」チームは未熟な私でも試合に出るチャンスをたくさんくれるので貢献できるよう頑張りたいと思っています。


DAJ:最初はサッカーをやりたいとおっしゃってましたよね、なぜサッカーでなくフットサルを選んだのでしょうか?

首藤選手:サッカーはポジションごとに攻守がありボールに触る機会が少ないのですが、フットサルはポジションに関係なくプレイヤー誰でもボールに触れる機会が多いのでそこが魅力と思ったんです。

DAJ:今までのフットサルをしてきて想い出はありますか?

首藤選手:イタリアでのデフフットサル交流です。イタリアで行われた55周年記念スポーツフェスティバルに招待され、フットサルとして参加した時、相手のチームの体の大きさと体当たりの激しさを感じたことが今でも印象に残ってますね。

DAJ:フットサルをするにあたりご両親の反応はいかがでしたか?

首藤選手:以前ろう者女子サッカーのドキュメンタリー映画「アイ・コンタクト」に出演した時に見に来てくれました。デフリンピックも応援に来てくれました。それまではサッカー・フットサルをしているところを見せたことがなかったので、とても喜んでくれました。映画は2~3回くらい見に来てくれました(笑)

DAJ:とても喜んでくれたのですね!今の「う~魚」チームのセットプレー等のコミュニケーションはどうしているのですか?

首藤選手:基本はボードで教えてくれたりします。試合中はボードを使うことは難しいので、ボールが転がっているときなど監督のほうをみて口や身振りなどで指示を読み取ったりしています。又は前もって試合前のセットプレーのサインを確認し、試合では1,2,3,へといった指文字サインでセットプレーしています。そして試合後の反省や今後の課題等はメールでやりとりしながら、次へのステップへ繋げています。

DAJ:なるほど、そうだったんですね。首藤選手は11月に開催予定の世界選手権のデフ日本女子フットサル代表でもありますが、大会に向けて何か特別なトレーニングはしてますか?

首藤選手:インターバルトレーニングをしてスタミナをつけたり、 体幹トレーニングをしたりしてバランス感覚を保つようにしています。あとはリラックスもトレーニングの一環だと思うので映画鑑賞でリラックスしています。

DAJ:今の「う~魚」のチームメイトとはどんな感じでしょうか?

首藤選手:それぞれ個性豊かなメンバーが多いです。私が分からない事があると親切に教えてくれたりします。日頃の感謝として世界大会でいい結果を報告できたらと思っています。

DAJ:最後に子どもたちに伝えたいことは何か教えてください。

首藤選手:フットサルを楽しんでほしいです。厳しくやるのではなく、まず楽しんでもらえればと思います。楽しいと続きますから。





「う~魚」の松尾キャプテン

所属フットサルチーム「う~魚」キャプテン松尾選手からみた首藤選手と、首藤選手へのコメント

首藤さんはいつも頑張っていて、ろうであることを忘れるくらいです。
そのため、ろうであることに関してメンバーはあまりハンデを感じていないですし、練習も皆と同じメニューでやっています。
メンバーも一層頑張るので、首藤さん(通称シュー)にももっと頑張って欲しいと思っています。















画像提供:SHUTOH
2009年デフリンピック台北大会にて 後列左から3人目が首藤選手


画像提供:SHUTOH
2009年デフリンピック台北大会にて




 首藤 麻衣選手(MAI SHUTOH)
・ニックネーム: シュー
・生年月日: 1982・9・10
・出身地: 岩手県
・身長・体重: 160cm
・足のサイズ: 24.5cm
・利き手・利き足: 両方とも右
・フットサル歴: 7年
・キャリア: 2009年台北デフリンピックサッカー日本代表
       2011年世界デフフットサル大会日本代表
・フットサルの特技: ディフェンス
・聴力レベル: 約130dB
・補聴器装着の有無・形式: 無
・補聴器のメーカー:無
・フットサルの時の補聴器装着の有無: 無
・コミュニケーション能力: 筆談、読話、手話
・血液型: B型
・最終学歴: 筑波大学附属聾学校専攻科
・職業: 会社員
・家族: 父、母、妹、弟
・フットサルを始めたきっかけ: サッカーチームを探してた時、フットサルやってる知り合いから誘われた。種目は違ったがやってみて夢中になった。
・フットサルを始めたことで変わったことは?: 健康に気を遣うようになった。フットサルを通じて友情の輪が広がった。
・フットサルをやって聴力影響は?: 健常者の指示(声)が聞こえない事以外、問題ない。
・フットサルの醍醐味は?: ポジションに関わらず守備、攻撃に参加できること。ボールに沢山触られること。
・フットサル以外にやってみたいこと: アイスホッケー、クライミング
・フットサルをやってなかったら?: 世界一周の途中かな。
・ラッキーアイテム: ヘアーバンド、リカバリーソックス
・愛用品スポーツメーカー: gol、ミズノ(シューズ)
・趣味: 旅行、映画鑑賞、読書、サッカー&フットサル観戦
・宝物: 本、お守り
・今後の夢: 世界一周
・好きな言葉: 和洋折衷
・座右の銘: 継続は力なり
・今後の抱負: 所属チームの公式試合で得点を決める。世界大会でメダルを獲る。
・皆さんへのメッセージ: 
 誰でも気軽にできるのでフットサルに興味を持ったらまずフットサルの楽しさを味わって欲しいですね。デフフットサルの方も温かい応援をお願いします。

・PR う~魚 http://fdelsole.cool.ne.jp/u-gyo/
・デフフットサルプロジェクト http://deaf-futsal12.doorblog.jp/




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027 MORIMOTO

森本真敏選手はハンマー投げの選手であり、日本ろう記録(63.25メートル)と世界ろう記録(61.08メートル)の保持者として多くの人々に知られている。
2009年台湾・台北市で行われた「第21回夏季デフリンピック」の陸上競技男子ハンマー投げでは、大会記録と世界ろう記録を塗り替え金メダルを受賞している。
本年度、6月に行われた「第8回日本聴覚障害者陸上競技選手大会」では、あいにくの雨にも関わらず、58.38メートルを記録。そんな数多くの功績を残している森本選手だが、母校である滋賀県聾話学校で短期間ではあるが、教師としての経験を持っている。
生徒や職員からの信頼も厚く、森本選手に憧れハンマー投げを始めた生徒も居る。
そんな彼には、「いつかデフリンッピックスクールを設け未来のデフアスリートたちを育てていきたい!」という夢がある。
現在、森本選手は来年(2012年)トロントで開催される「第2回世界ろう者陸上競技選手大会」の日本代表選手として選出され、トレーニングや大会出場で多忙な日々を過ごしている。
森本選手の活躍が「デフアスリート育成」の先駆者として繋がっていけるよう期待していきたい。




DAJ:現在のスポーツを始めたきっかけは何でしょうか?

森本選手:本当はプロ野球選手になりたかった。けれど、健聴の高校受験に落ちて、落ち込んでいる時に滋賀県立聾話学校の体育の先生に勧められたのがきっかけ。

DAJ:高校の体育の先生に?

森本選手:そう、たまたま、その先生はハンマーをやってた先生で自分もやることがなかったから。

DAJ:貴方にとってこのスポーツの魅力を教えてください。

森本選手:魅力はたくさんある。
人生のことや、色々なことをたくさん教えてくれたのがハンマーです。特に記録が伸びないというスランプとか自分の中での葛藤などを乗り越え たときの喜びを教えてくれたり、遠くに飛ばせるようにするには、ボディコンディジョンだけでなく回る技術が大切だってことを教えてくれたり。ハンマー投げの練習や大会を通して、劣等感が無くなったことです。

DAJ:スポーツをやっているうえで聴力の影響はありますか?

森本選手:はじめはあると思ったけど、なかったな(笑)
陸上は他のスポーツと違って、自分の体をコントロールする競技だから、そういうのは関係ない。


DAJ:今までのハンマー投げというライフスタイルで忘れられない思い出は?

森本選手:2009年に行われた台北オリンピックで世界記録を達成できたこと。あとは、アテネオリンピック金メダリスト室伏広治選手に会ってマンツーマンで教えて頂いたこと。

DAJ:室伏広治選手に!?

森本選手:そう。彼に会って、スポーツをする上で聞こえないとか、そんなの関係ない!て、影響を受けたよ。だって、日本人でとてつもない大きな外国人と戦うんだからね。

DAJ:スポーツを始めるにあたってご両親や友人はどんな反応をしましたか?

森本選手:好きなようにしたらいいよ。て感じだったと思う。けど、ハンマーを始める前まで、6年間ずっと野球していたから、父親はすこし寂しがっていたけどね。

DAJ:森本選手は、野球からハンマーに転向するとき、抵抗などはなかったのですか?

森本選手:自分自身も始めは野球に対する嫉妬や抵抗はあったけど、高校1年生の学年別(高体連)で大会新で優勝してからはその気持ちもどうでもよくなった。ハンマーに夢中だったね。というよりハンマーしかなかった。

DAJ:練習や試合の時はどのようにコミュニケーションをとっているのでしょうか?


森本選手:健常者・・・練習は身振りと口話(自分が教えることが多いため口話です。)、普段は筆談。
     ろう者・・・手話


DAJ:ありがとうございます。それでは最後に、これから自分と同じスポーツをやろうとしている人や子供たちに伝えたいことは?

森本選手:今のデフスポーツ界はプロ意識自覚が足りないかと思う。
そんな中、自分がしたいスポーツがなければ諦めてしまう人が殆どなんじゃないかな。
「やりたい!」という強い気持ちを大事にしながら自ら行動起こせるようにして欲しいです。
私がプロのハンマー選手となることで皆さんと一緒に「やるなら、一番になろう」という室伏広治選手の言葉を胸に抱いて頑張っていきましょう。











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画像提供:MORIMOTO
大阪世界陸上時にセルゲイ・リトビノフさんとお会いしたときの写真。
リトビノフさんは尊敬する人で、86m04cmも投げています。
人間の中で3番目に遠く投げている人です。

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画像提供:MORIMOTO
2009年デフリンピック台北大会の試合後、30人以上のサインを書いたこと・・・・




 森本 真敏(MASATOSHI MORIMOTO)
・ニックネーム: MONTA
・生年月日: 1985・5・28
・血液型: B
・趣味: 映画鑑賞
・出身地: 滋賀県
・最終学歴: 筑波大学体育専門学校
・職業: アスリート(ハンマー投げ)
・身長: 183cm
・足のサイズ: 28.5cm
・スポーツ歴: 小学 軟式野球
        中学 硬式野球(ボーイズ)
        高校 ハンマー投げ(6.35kg)
        大学 ハンマー投げ(7.26kg)
        ハンマー投げ11年目、現在に至る。
・キャリア: 長崎インターハイ10位(自己ベスト:58m75cm)
       関東インカレ2位
       日本インカレ6位
       日本選手権3回出場、最高9位
       第1回世界ろう者陸上競技選手権(トルコ)金メダル
       第21回夏季デフリンピック 世界ろう者新記録で金メダル
       自己ベスト:63m25cm
・スポーツの特技: 無限大のバランス力
・聴力レベル: 右/103dB.左/105dB
・補聴器装着の有無: 両耳
・メーカー: リオネットのHB-17
・スポーツ時の補聴器装着の有無: 健聴者と共同トレーニングのみ装用。
・コミュニケーション能力: 手話メイン。健聴者には筆談。
・スポーツの醍醐味: 奥が深い。貪欲にいけばいくほど、終わりがない。たくさんのことを学び成長できる喜び。完ぺきを求めているが、実は完ぺきなんてない。でも、完ぺきを求めることが大事。
・スポーツ以外にやってみたい事: 他種目でデフリンピック出場(笑)
・愛用品スポーツメーカー: アシックス
・好きな言葉: 道汚れなく道険し
・今後の夢: デフリンピックスクールを設立。未来のデフリンピアンを育てていきたい。日本のデフスポーツの意識を改革する時が来た!
・PR
http://profile.ameba.jp/montahammer/

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